昭和100年 2019 11 17

 最初に、「昭和100年問題」の話を聞いたときは、
「あり得ない。冗談だ」と思いました。
 しかし、最近、中央官庁で統計情報のトラブルの原因が、
プログラミング言語の「COBOL」にあったというニュースを聞き、
私は、仰天しました。
 「COBOL」とは、「FORTRAN」とともに、
今から数十年前に使われていたプログラミング言語であり、
その後、プログラミング言語は、「C言語」や「C++」、
あるいは「Java」に置き換えられたものだと思い込んでいました。
 「COBOL」や「FORTRAN」は、昭和の時代の言語でした。
それが、平成から令和に変わる時代に問題になるとは、
夢にも思いませんでした。
 昭和の時代は、西暦よりも和暦を使っていました。
昭和は、99年まで使えるのに対して、
西暦は、たとえば1986年だったら99年まで、
残りが少ないという認識だったかもしれません。
 当時、コンピューターで使えるメモリは、極めて少なく、
プログラミングにおいては、なるべく節約が求められたのです。
 西暦では、1986年は使えず、下2桁の86年を使ったのです。
和暦は、もともと2桁だったので、そういう問題は起こらなかったのです。
 もちろん、和暦を判定するコードは使いました。
明治は「1」、大正は「2」、昭和は「3」なので、
昭和63年は、3桁で表現して、「363」となります。
 しかし、それよりも昔の時代は、
さらに、メモリ制限が厳しく、和暦コードは使っていなかったかもしれません。
昭和58年ならば、単純に2桁の「58」となっていたかもしれません。
おそらく「昭和99年」まで年数がいっぱいあるという認識だったかもしれません。
 しかし、そういう時代であっても、
日本の電機産業は、全盛の時代であり、
世界においても、日本の電機産業が圧倒的でした。
 今でも思い出すのが、NECのV30というCPUです。
懐かしくなって、インターネットを検索してみると、
吉川明日論氏の記事が見つかりました。
 Intel互換品として、NECのVシリーズもあげておきたい。
どちらかというと組み込み用途の目的に開発されたものと思われる。
 しかし、当時は、飛ぶ鳥を落とす半導体メーカーであったNECが、
Intel互換CPUを製造していたことは興味深い事実である。
当時のNECは、世界で有数のパソコンメーカーでもあった。
 もし、NECが本格的にIntel互換CPUメーカーとして市場にVシリーズを拡販していたら、
たぶん今の半導体の世界地図自体が違っていただろうと想像してしまう。
 当時のNECの技術と事業規模をもってすれば、
同社は、十分にIntelに対抗する勢力となりえたはずで、
そのポテンシャルを考えると、
「NECは、もしかするとIntelに代わる半導体メーカーになっていたかもしれない」などと想像してしまう。
(引用、以上)
 ところで、名前の「明日論」は、
AMD社の傑作CPUである「Athlon」のことでしょうか。
 ところで、私は、「x86」のアーキテクチャよりも、
「68系」のアーキテクチャのほうが優れていると思っていました。
 自由なメモリ空間や大規模プログラミングを考えれば、
「68系」のほうが優れていると思っていましたが、
半導体ビジネス、半導体セールスで敗れてしまった感じがあります。
 話がそれましたが、
「昭和100年」には、「昭和00年」と認識されてしまう問題は起こらないと思います。
 それでも、平成の終わりになって、
「COBOL」の問題が出てきましたので、
今、タイムマシンがあれば、念のために、
昭和60年頃に行ってみたいと思います。
 しかし、昭和60年の人たちは仰天するかもしれません。
「未来から未来人がやってきて、
手のひらに載るコンピューターを持っていた」と驚くかもしれません。
昭和の時代には、スマートフォンはありませんでした。




























































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